自主休講とは

授業をサボって休日を作り出すクリエイティブな行為のことです。

大学生に多く見られます。

というのも大学生になると束縛するものが少なくなるからです。

中学や高校までは教師があれをやれこれをやれと口うるさく言ってきました。

しかし大学ではそれがないのです。

何かに打ち込みたい人にはもってこいの環境ですね。


何回まで休めるのか?

大学の講義は何回まで休めるのでしょうか?

学校によって違いますが、全講義回数の三分の一まででしょう。

例えば全15回の講義だったら5回までです。

5回休むことにより出席点は減りますが、テストの点数などで補えば問題ないです。

その講義に関連する本を何冊か読めばまあテストは解けるでしょう。




自主休講する人間はクズか?


自主休講をする人間はクズなのでしょうか?

私はそうは思いません。

なぜなら自主休講をする人間は自分の頭で考え、選択することのできる人間だからです。

自主休講には各々理由があるでしょう。

例えば大学をサボって友達と遊びに行きたいとか、本を読みたいとか、寝過ごしてしまったなど。

これらは全て自分の頭で考えて選択した行動です。

一見そうには見えない『寝過ごしてしまった』というのも選択です。

なぜなら前日に早めに寝ておけば起きることができたのに、そうはしないことを『選択』したからです。

自主休講することにより自分で選択する能力が養われるのです。

人生は選択の連続です

選択をすることによって人生は形作られます。

例えば、『将来どんな仕事をするのか』や『どんな人と結婚するのか』はいろいろと悩んだ末に選択することです。

大学生活は人生をより良くするための糧であるので、自主休講は素晴らしい行為と言えましょう。

なので自主休講する人間はクズではありません。


アンチ自主休講

しかし世の中には自主休講をする人間のことをクズだとみなす人たちがいます。

これらの人たちを『アンチ自主休講』とでも呼んでおきましょうか。

なぜ彼らは自主休講をする人間をクズ扱いするのか。

彼らは規範意識が強いからです。

規範意識というのは決まりごとは絶対に守らなくていけないという考えのことです。

彼らの価値観は決まりごとを守れているかどうかを絶対視します。

そこには彼らの考えというものがありません。

決まりごとを守れてさえいれば良いのです。

何の創造性もありませんね。

『アンチ自主休講』は違反だという理由だけで『自主休講派』を批判します。

彼は自分の頭で考える習慣がないので反論しても無駄でしょう。

『自主休講派』の皆さんは適当に流しておきましょう。


なぜ『アンチ自主休講』が生まれたのか


そもそもなぜ『アンチ自主休講』が生まれたのでしょうか。

日本の文化のせいでしょう。

日本の文化では人と同じであることが美徳だと思われています。

例えば会議で自分と違う意見が出ても他の人が賛成していたのなら、賛成してしまう人は多くいるでしょう。

自分が人と同じであることを確かめるための道具が『規範』です。

大多数の人は『規範』に従います。

『規範』にしたがってさえいれば少数派になることはないでしょう。

しかし、それに縛られ過ぎると自分の頭で物事を考えることができなくなります。

いわば『規範』の奴隷です。

多くの人は気づかずうちに奴隷となっているのです。

そしてこの奴隷たちこそが『アンチ自主休講』なのです。

『アンチ自主休講』の皆さん。

おめでとうございます。あなた方は多数派です。